先日の“女子として街へ出たらどうなるか?”の続きです😄
女子の格好をしているとき、
【 男であるということはバレたくない… 】
という強い想いが心の中にありました😅
それが何故なのか、ずっとわからないままでいましたが…
今日ようやくそこに氣付けました。
それは、
【 与えられた役割は演じ切らなければならない 】
という思い込み(観念)があった、ということ😂
例えば…
親の前では、自分自身が思い描く「子ども」を演じ、
友人Aの前では、自分自身が思い描く「Aの友人」を演じ、
友人Bの前では、自分自身が思い描く「Bの友人」を演じ
男性の格好であれば、自分自身が思い描く「男性」を演じ
女性の格好であれば、自分自身が思い描く「女性」を演じ…
自分自身が思い描く姿には、
多かれ少なかれ「こうあるべき」という像があると思います😓
「子ども」は、いつまでも親の言う事をきくべき…
「Aの友人」は、自信なさげな態度でいるべき…
「Bの友人」は、強気で威圧的な態度でいるべき…
「男性」は、力強くたくましくあるべき…
「女性」は、可憐でおしとやかであるべき…
これらは、分かりやすいほんの一例に過ぎませんが、
それより、何より。
そこに輪をかけるようにして、
僕はそれを【 演じ切らなければならない 】と思っていたのです😱
今回の場合で言うと「女子はこうあるべき」という像に、
更に、その女子を僕は「演じ切らなければならない」という二重縛りをしていたんですね。
仮に「女子はこうあるべき」があったとしても、
【 演じ切る必要性 】は1ミリもないにも関わらず。。。😨
世の中に、
【 〇〇すべき 】
なんてことは1つもありません😄
あなたは、男の子なんだから…
あなたは、まだ子供なんだから…
あなたは、お兄ちゃんなんだから…
(あぁ、心当たりあるような。。。😅笑)
それは自分自身が、誰かから言われ、
聞き、創り上げた観念を採用しただけのことです😂
だからといって、固定観念が悪いということではありません。
バシャール的に言うと、
目の前の現象は、すべて「観念」が創り上げていて、
逆に「固定された」観念がないと、
肉体的に存在し続けることは困難です。。。😅
話は戻って、一番最初の例。
【 与えられた役割は演じ切らなければならない 】
でも、「演じ切らなければならい」ということなんてないんですよね😊
【 演じ切っても良い 】し
【 演じ切らなくても良い 】し、
【 演じたかったら演じれば良い 】し、
【 演じたくなかったら演じなくても良い 】し。
この一旦ニュートラルな状態になって、
初めて選択すること😊
それこそが、【 本当の自分らしさ 】なのかも知れません😄
そして、改めて考えなおしました。
僕はどうしたいのか…?🤔
男子になった時は、男子を演じ切りたい!✨笑
女子になった時は、(可能な限り)女子を演じ切りたい!✨笑
これが自分らしさみたいです😄
最後までお読み頂きありがとうございました。
koki