不思議なこと、シンクロニシティ満載だった不思議な鹿児島ひとり旅もいよいよ最終日。
何故、知覧へ?
朝、ホテルのチェックアウトを済ませると、早速、知覧を目指しました。
鹿児島中央駅から出ているバスに乗り、揺られること1時間半ほど掛かります。
そもそも、何故、知覧なの?
知覧という存在を知ったのは、ちょうど1年前でした。
友人がFacebookでヒッチハイクをして、知覧へ行ったという話を見たのがきっかけでした。
そこから、『人生に迷ったら知覧に行け』
という本のタイトルが頭から離れず、どうしても氣になり急きょのスケジューリングです。
ご存知の方も多いかと思いますが、鹿児島県の南方に位置する『知覧』は、
第二次世界大戦中に、特攻基地として多くの特攻隊員が飛び立った場所の1つです。
僕自身、戦争映画や小説など、全くと言っていいほど興味がありませんでした。
ちょっと前に話題になった映画「永遠のゼロ」「硫黄島の戦い」「ホタル」等なども、もちろん観ていません。
なので、知覧にある『特攻平和祈念館』にも興味はナシです。
でも、何故か「今、行かなきゃならない」と感じたのです。
知覧に到着
知覧に到着。
目指すは、知覧平和会館。
海から引き揚げられたボロボロになった当時の戦闘機。
当時の特攻隊員達の遺影。
17歳~32歳という若さで、特攻命令を受けた隊員たちの遺書、遺筆、絶筆、遺詠…。
土曜日という事もあり、知覧平和記念会館には大勢の見学者が来ていました。
中には、その場で涙している方も…。
僕自身は、何故か悲しみの涙が出ることはおろか、一切そういった感情が出ませんでした。
こんなにも痛ましい惨劇の後を目の前にしても…
『もしかすると、自分は人間の感情を持たない、ただの精神異常者なのか…?』
そんな風にも思えても来ました。
一生懸命、悲しみを感じよう感じよう、そう思っても出てこない…
でも、その代わりにこんなものを感じました。
それは…
『決意の固さ』『無念さ』
です。
空襲で亡くなった方、原爆で亡くなった方、震災で亡くなった方、事件や事故で亡くなった方…
それに比べたらある意味、彼らはまだ猶予があった分、幸せだったのかも知れません。
悲しさよりはむしろ、自身の本意ではない無念さがありながらも、特殊な時代背景での使命の下、命を懸けて人の為に尽くすことへの決意の固さが強く感じられました。
何かを頑張っている時、「必死」という言葉が現代でもよく使われます。
でも、本来の意味でいうならば、きっと彼らの状況こそが「必死」です。
果たして自分も含めて、どれだけの人が今、本来の意味で使っているのでしょうか。
彼らに比べたら…と、少し自分自身が情けなくさえ思ってしまいました。
いずれにしても、もう戦争は起こさない。起こせない。起こさせてはいけない。
こんな時代背景になってしまった当時を繰り返してはならないと、それだけは強く感じました。
平和とは何か?
そんなことを考えさせられました。
出た結論は…
『平和とは何か…?と考えられるその状態。これこそが平和の証拠。』
そして…
帰りのバスを待っている時に空を見上げました。
晴れ渡った、広い、物凄く綺麗な知覧の空…
『ほんの数十年前まで、ここを戦闘機が飛んでいたんだ…』
そう思うと、彼らに、そして今に対する感謝が湧いてきました。
平和祈念館でも色々と感じましたが、この旅で1番感じたのは、この知覧の綺麗な空でした。
当時があるから今がある。
今、こうして居られるのも平和だからこそだ…
そして、自然と空に向かってそっと手を合わせていました。
最後は…不思議な雲。まるで龍の顔のような。